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町田久成ー日本の博物館の父

NHKのプロジェクトJAPANの関連番組で、世界と出会った日本人という5分間の番組が放送されている。

1月24日の放送町田久成であった。

薩英戦争で西洋の力を認識した薩摩藩は、洋学校を作り、町田久成がその学頭を務めた。さらに密かに15人の学生をロンドンに留学させた。学頭であった町田久成は上野良太郎なる偽名で学生を引率した。幕府に内緒で行っているのでロンドンでの学籍簿は全員偽名だったらしい。

そこで大英博物館に出会う。大英帝国は美術品、文化財、標本、資料などを世界中から集め(収奪とも言う)ていたが、町田はその実物に触れ、書物からだけでなく実物から学ぶことの重要性を理解する。

その後明治政府で働いている時、政府の進める廃仏毀釈を目の当たりにし、政府に文化財を集めて展示する博物館を提言し、社寺の文化財調査を行い、それらを公開する博覧会を行った。紆余曲折はあったが、上野の山に東京帝室博物館(現在の東京国立博物館につながる)を作り、初代館長に就任した。

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この番組を見て思い出したのは、島津家が博物館の基礎となるものを作っていたはずだ、ということだ。鶴丸城址の県歴史資料センター黎明館に聚珍寶庫(しゅうちんほうこ)の碑がある。私が写真を取っていた碑の説明版によると、島津重豪が文政十年(1827年)に江戸の藩邸に聚珍寶庫を建てた、とある。ここでは、国内外の珍しい物産を収集し、また樹木の栽培や鳥獣の飼育を行い、これらを研究・記録することによって自然界の真理を解明しようとした、これは、現在の博物館における資料の収集・調査研究活動に通ずるものである、とある。(ただし、どのようなものが収蔵されていたかは不明である。)

薩摩藩士であった町田はこのことを知っていたに違いない。その知識が博物館に目を向けるきっかけになったのではないかと思う。何事でも全く関わりのないところから発想が浮かぶのではないだろう。また、誰のまわりにも、将来へのヒントがあるに違いない。

(追記:町田の功績を貶めるつもりは毛頭無い。知っていてもそれが行動に結びつかないことは多いであろう。後から振り返ってみれば必然と思われる流れに身を置くことがあるのだなぁという感慨のみである。)

写真は、鶴丸城址にある、碑文のあらましである。碑は平成12年に東京大田区の旧島津邸から移された。


http://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/... (鹿児島大学理学部同窓会作成の最近の鹿児島市のページ、碑文のあらましなどが私の写真よりも綺麗に写っています)
年(代)
1838-1897