free flyer。の関心空間キーワード

関心空間のサービス終了に伴い、キーワードを移行してきました。更新できるかはわかりませんので、取りあえず物置でしょうか...

阿弥陀堂だより 南木佳士著 (文春文庫)

新人賞を一度取っただけの売れない作家である主人公と、第一線の癌治療医であった妻が、信州に帰郷し、そこでのふれあいを通じて、自分自身を再確認していく物語です。

作品をなかなか載せてもらえず、そのうちに書くべきこと自体に疑問が生じる主人公、癌治療の第一人者として病院の勤務や論文執筆、講演などをこなしていたが、ある時病気に陥り、以前のような仕事ができなくなった妻。

このどちらの姿も著者である南木佳士氏の投影です。第一線の呼吸器内科医として働いていた南木氏は、芥川賞受賞後にパニック障害うつ病を発症します。芥川賞作家に恥じない作品を書かないといけないという覚悟と同時に、医師としての仕事を決しておろそかにしないと自らに決めたルール。対談の仕事があると通常勤務が終わってから東京に行き、それを終えて夜行で信州に戻り、翌朝からは通常の勤務という強行軍を新幹線のない時代にしていたそうです。すべてを完璧にこなさないといけない、という自らに科したプレッシャーが発症に大きく影響したでしょう。また、作者は、医師として多くの人を看取り過ぎたから、と分析しています。患者と自分にどのような違いがあるのか、目の前の患者と同じように自分にも同じように死が訪れるのがたぶん怖かった、ということが原因だ、ということです。

2年半は書くことも読むこともできず、何もできなかった。病院に行っても2時間ほど軽い外来をして逃げる様にすぐに帰ってきて、ぼーっとしている。物が書けないのは仕方がないが、医者もできないかもしれない、という焦燥感。詳しくは語られませんでしたが、強い自殺念慮に突き動かされることも多かったといいます。いつから良くなったかははっきりとはわからないが、おおよそ6−7年位かかったそうです。以前のような勤務はできないと、人間ドックの診察のみを担当するように。

元通りの生活ができるようになることが治ること、ではない。元通りには自分ができないことを文字通り身をもって知った。自分が変わってしまったことについて、納得できないことが長く続いたが、あきらめた。あきらめることには時間がかかる。あきらめないで元に戻りたいとずっと思ったが、2−3年が経って、もう元に戻れないと思った時に、気分が軽くなった。

「人は変わる、変わらざるを得ない。状況に合わせて生きることで、すでに人は変わっている。変わらなければ生き残れない。変わることを肯定することで、人は生きのびる。」

「どんなにぶざまであっても、理想から離れても、何とかして生き延びること。」

今まで蓄えてきたものが無くなって何もできない状態から出発して、もう一度自分の何らかの世界を作ってみたい、という努力から、この「阿弥陀堂だより」の作品が生まれました。作者によると、過去を振り返り、これを書くこと自体がリハビリの作業だったと。

著者が出演したNHK福祉ネットワークの番組うつ、老い、そして“生きのびる” -作家・南木佳士さん- 2009年7月6日放送)を見て、以上の様な、うつからどのように現在に至ったかを聞き、改めてこの作品の意味を理解した気がします。

妻がどのようにして心の健康を取り戻していくかが小説のストーリーの一つの筋です。しかし、それを通じて描かれるのは、昔から変わらず流れ続ける集落の時間であり、阿弥陀堂のおうめ婆さんはその象徴です。いつ寿命が来てもおかしくない様に思えるおうめ婆さんを含め、ラストシーンのショットに入る誰もが少しずつ年を取っていく歩みの最中なのですが、個人としての寿命はいつか尽きても、同じことが繰り返される、その自然の営みをそれぞれが何らかの形で受け入れることが、一つの答えである、それがラストシーンに作者が込めた思いなのでしょう。


関心空間では、みさんが、海へという南木さんの本を取り上げておられます。また、阿弥陀堂だよりは、ymkさんのkwそらいろさんのkwにあるように映画化されています。

(このkwは、「本部」コミュニティ「本部当直」で書いたものを修正したものです。)
ISBN
9784167545079商品を見る
商品名
阿弥陀堂だより (文春文庫)
価格
¥530
著者
南木 佳士
出版社
文藝春秋
発売日
2002-08
URL
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167545071/kanshin-1-22/ref=nosim