埋れ木
彦根のお菓子
埋れ木の名は、彦根藩藩主であり幕末の大老、井伊直弼にちなんだもの。
直弼は藩主の十四男として生まれ、出世の見込みもなく、17歳から32歳までこの屋敷で過ごした。この時期に様々な学問を学び、茶の湯を始めとする教養も広く身につけた。「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋れておらむ心なき身は」という有名な和歌を詠んでおり、自らの屋敷を埋木舎と呼ぶ。冷遇された部屋住みという立場の中で、様々な知識を身につけ自らを研鑽した結果が後に認められたことになる。
このお菓子は、白餡を求肥で包み、抹茶と和三盆糖をまぶしてあるというもので、茶人でもあった井伊直弼の不遇な中にもひたすら己を磨く青年時代と重なる、抑えた中にもしみじみと上品な味わいのあるお菓子である。
ちなみにこの和菓子屋は、文化六年(1809年)に創業しており、これは井伊直弼が生まれるよりも古い。
埋れ木の名は、彦根藩藩主であり幕末の大老、井伊直弼にちなんだもの。
直弼は藩主の十四男として生まれ、出世の見込みもなく、17歳から32歳までこの屋敷で過ごした。この時期に様々な学問を学び、茶の湯を始めとする教養も広く身につけた。「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋れておらむ心なき身は」という有名な和歌を詠んでおり、自らの屋敷を埋木舎と呼ぶ。冷遇された部屋住みという立場の中で、様々な知識を身につけ自らを研鑽した結果が後に認められたことになる。
このお菓子は、白餡を求肥で包み、抹茶と和三盆糖をまぶしてあるというもので、茶人でもあった井伊直弼の不遇な中にもひたすら己を磨く青年時代と重なる、抑えた中にもしみじみと上品な味わいのあるお菓子である。
ちなみにこの和菓子屋は、文化六年(1809年)に創業しており、これは井伊直弼が生まれるよりも古い。
- メーカー
- いと重菓舗